ROUND11◎分類不能の名作カンバック!

テキスト/安田 均 
 ゲームって不思議だなあ、とときどき思う。
 特に、ここで書いているアナログゲームは、アイデアが生の形で表現されるために、ほんとに妙でおもしろいものが、あっというまに古典となって、やがてひとつの分野を形づくるまでになる。
 そうかと思うと、数十年前に出されたゲームが、ユニークなのに消えてしまい、どうしてかなあと嘆いていると、急に再出版されたりする。 
 今回、ボードゲーム(といっていいかどうかは、後で書くけれども)の傑作『コズミック・エンカウンター』が再出版されたので遊んでみたが、そのおもしろさはまったく変わってなかった。
 このゲームはどちらかというと消えてしまっていた口だが、ほんとそれがなぜなのかわからないくらい、内容的にはいまでも輝いている。
 とにかく、こうした優れたゲームに共通して言えるのは、その独自性だろう。
 どこにも分類できないくらいのおもしろさ。
 考えてみれば、ロールプレイング・ゲームの元となった『ダンジョンズ&ドラゴンズ』にしても、あるいは、トレーディング・カードゲームというジャンルを切り開いた『マジック:ザ・ギャザリング』にしても、どれもこれまでのゲームの分類には当てはまらないものばかりだ。
 ロールプレイング・ゲームは、勝ち負けのない会話で進めるゲームを作り出した。そもそもボードゲームの世界から出てきたのに、ボード自体は使わない(メインではない)、というのが根本的に妙だ。
 トレーディング・カードゲームは、トレーディング・カードという従来ある分野をカードゲームにくっつけた、と言えば言えるだろう。でも、そんなもの、たとえ思いついても、大変だということで誰も試みなかった。そもそも、何百種もあるカードゲームという量だけなら、つまらない大作を考えつく者はいるだろうが、それをデック構築という50枚前後の中に押し込める、という発想の離れ業はなかなか出てこない。
 ボードゲームでも、たぶん『モノポリー』は、出たときは画期的だったのだ。『モノポリー』については、いまではありふれたものに思えるが、当時のスゴロク風ゲームばかりの時代にあっては、とんでもなくおもしろかったに違いない。
 あと1つ付け加えるなら、ぼくにとっての『アクワイア』もそうだった。こちらは『モノポリー』の亜流が大半だった時代に、サイコロなどには頼らない、非常にクールで洗練されたゲームということで目を見張った。その評価は、出た当初こそ目立たなかったが、遊び続ける人たちの間でどんどん高まっていった。いま、ドイツでボードゲームが盛んだとここでずっと書いているけれど、実はドイツでこそ『アクワイア』の作者シド・サクソンはもっとも評価されている。アメリカのボードゲーム黄金時代に出たゲームなのに、母国ではそう評価されず、数十年を経て異国でのゲーム大発展の元になったゲーム?――これも充分にユニークだろう。
 そうした独自性では、この『コズミック・エンカウンター』、他の名作に一歩もひけをとらない。
 とにかく、このゲーム、出版した会社を潰していくことでも有名なのだ。これまで四半世紀、4度、版を変えて別のゲーム会社から出たけれども、それまでの3社は見事に倒産している。
 普通なら、そんなゲームが生き延びることは、まずありえない。熱烈なファンがいるからだと思われるかもしれないが、別に自費出版などではない。その当時の勢いのあるゲーム出版社が、再版してはなぜか会社の方が傾いているのだ。
 確かに、このゲーム、遊ぶ人を選ぶかもしれない。
 理由は2つ。
 ゲームそのものの性格と、ゲームのルールのわかりにくさだ。
 ルールは複雑でわかりにくいのじゃない。簡単すぎるほど簡単なのに、2、3の細かいところで、一見勘ちがいしやすいのだ。で、そこを勘ちがいすると、ゲームが全然つまらなくなる。
 勘ちがいしやすいのは、ゲームの基本進行の部分。めくられる丸いカードが自分の色でない場合は、「その色のプレイヤーの5つある基本星系のどれか1つを攻撃し、その色のプレイヤーが防御者」ということ。要するに、敵は決定している。そして、自分の色の場合は、「自分と違う色が出るまでめくるか、自分の5つある基本星系のどれか1つに進駐している他のプレイヤーの植民地どれかを攻撃し、その植民地のプレイヤーが防御者」になる。こちらは、敵を選べるのだ。
 ごらんのように、この2つが対比的でなく(前者は攻撃対象が星系、後者は植民地)、微妙に違っている。
 どうして、この部分がはっきりしてないと問題になるかというと、敵と星系が決まることによって、このゲーム、進行が早くなり、すっきりと収まるところに収まるようになっているからだ。これを、敵が決まっていても、別の星系にある植民地を攻撃できる、とか、星系は決まっていても、そこにある別のプレイヤーの植民地を攻撃できる、というようにルールをとると、よくある戦略・戦術ゲームのようになり、植民地が増えたり減ったりで、なかなか終わらない。で、非常におもしろいゲームなのに、だらだらと遊ぶことになり、‘疲れたから、もうよそう’となってしまう。
 それともう1つ勘ちがいしやすいのは、手持ちのカードがなくなったときの補充。攻撃のときは自分のターンのはじめ1回だけ、防御のときは当事者にならない限り、カードを補充できない−−逆にいうと、防御の当事者になったときには、手持ちのカードがなければ即座に補充する、というルール。これが、あまり見かけないルールの上に、やっぱり対比的でないのでわかりにくい。
 言い換えると、それだけ変わったゲームで、いったん慣れればやめられないくらいにおもしろい、ということでもある。
 そう、このカードの部分だけでも、目につく特徴をちょっと書いてみよう。
 普通、カードゲームでは手札にたくさんある方がいろいろ選択できておもしろい。ところが、このゲームではカードがなくなると、一気に7枚補充できる。だから、手札がつまらないかすカードの山になるくらいなら、カードを使いきる方が有利なのだ。じっさい、役にも立たないカードをたくさん持つと、捨てることができないのでかなり苦労する。
 つまり、これを見てもわかるように、逆転の発想や、相対化という視点がゲームにかなり取り込まれている。
 それこそ、まさにこのゲームがSFゲームである、という証でもあり、そのため、いろいろ思いつく人であればあるほど楽しめるという(頭がいいのとは、少し違う。勘や閃きということ)、ちょっとプレイヤーを選ぶ側面も持っているのだ。
 遊び方のポイントを先に書いたので、どんなゲームかよくわからないかもしれない。ここからは、普通に紹介してみよう。
『コズミック・エンカウンター』は、基本は4人用ゲーム。プレイヤーがいろんな異星人になって、植民船(最初に各自20隻を、自分の5つの星系に持っている)を、自分以外の異星人の星系5ヵ所に先に置いたら勝ちというゲームだ。
 プレイヤーは自分のターン(順番)になると、まずワープゾーンから自分の船を1隻戻し、つぎに丸いカードをめくって、どのプレイヤーの星系に向かうかを決定する。そうしてから、1隻から4隻までどれだけ自分の植民船を送り込むかを決める(この数が攻撃値)。相手のプレイヤー(防御側)もその星系に植民船を持っていたら、それが防御値になる。それぞれは他のプレイヤーに援軍を求めることができる。そして、攻撃側と防御側は援軍を加えたそれぞれの攻撃値と防御値を出し、それに‘いっせーのせ’で1枚ずつ手札からカードを出しあい、その数値をそれぞれに加えて比べあう。数値の大きい方が勝ち。同点は防御側の勝ち。
 攻撃側が勝てば、その植民船を相手星系に降ろして、これが植民地(及び、防御値)になる。負ければ、真ん中にあるワープゾーンへと船は失われる。
 カードには数値を書いたものの他に、交渉カードがあり、これの使い方がおもしろい。双方がこのカードを出すと、1分以内の交渉になり、それぞれが基地やカードを交換しあったりできる。一方だけが出した場合、勝負には自動的に負けるけれど、無抵抗の相手を攻撃したということで、交渉カードを出した方は補償として、相手プレイヤーの手札を失った船の数分奪い取ることができる。
 自分のターンには、1度攻撃や交渉が成功すると、もう1度同じようにプレイを行うことができる。それから左隣のプレイヤーにターンは移る。
 基本はこれだけのゲームだ。
 ところが、ここでめちゃくちゃにおもしろい要素が、3つ加えられている。
 まず、カードのやりとりだ。これはさっきも書いたように、攻撃側と防御側は星系での衝突が起こるたびに、必ず1枚は出さねばならない。だから、カードの増減は激しくなり、それを多く持つのか減らしていくのかで、いろんな作戦がとれる。それに数値だけでなく、交渉カードがあり、さらにその上に、とんでもない力を発揮する超能力カードというのも6種類ある。こうしたカードのやりとりが『コズミック・エンカウンター』では大きな魅力となっている。このために、ボードを使うにも拘わらず、これをカードゲームと分類する人もいるくらいだ。
 2番目に、異星人の種類が多い(現バージョンでは20種類)。プレイヤーはゲームが始まる前に、どの異星人になるかをランダムに決めるのだが、これがまたとんでもない能力をもつ連中ばかり。相手と手札を常に取り替えれるトレーダー族、相手の手札をのぞきこめるマインド族、カードを後出しできるオラクル族、植民船1隻が4隻に該当するマクロン族など、見た目でぱっとわかるものから、常にカードを1枚、誰かに贈与できるフィランソロピスト族(こいつは強いし、おもろい!)など、凝ったものまで実に楽しい。
 それまでのゲームでは、だいたいにおいて、プレイヤーの条件が公平で似たり寄ったりだった。それに対して『コズミック・エンカウンター』は、‘反則だ!’と言いたくなるほどプレイヤーの能力に偏りを持たせて、ゲーム化することに見事に成功した。
 また、それと同時に、この能力がカードプレイと重なると、さまざまなコンボ(組み合わせ技)が発生する。
 20年ほど後発のTCG『マジック:ザ・ギャザリング』の作者が、このゲームに大いに啓発されたと言っているのも、すごくよくわかる。
 そして、目立たないけれど、3番目の援軍の交渉。これがたまらないくらいに楽しい。攻撃側と防御側の当事者間のカードの出しあいも、ブラフ(引っ掛け、はったり)があって楽しいんだけれど、そこに‘お願い、助けて!’とか‘まあ、援軍に来てもいいよ’などのやりとりが入ることで、ブラフなどの楽しさが倍加されている。
 この援軍ルールが、ルールとしてわかりやすく機能しているのが、実はこのゲームの隠し味なのだ。ゲームで交渉というと、やり手や声のでかい人が有利だったり、おとなしい人がどうしても不利だったりすることが多い。ところが『コズミック・エンカウンター』では、これが楽しいブラフとともに、考えに考えて、それでもわからない−−でも、やり方ははっきり明快である、という形で処理してある。
 とまあ、説明してきたけれども、確かに最初はわかりづらいゲームかな、とも思う。でも、1、2度遊んでおもしろさをつかんだら、なかなかそこからは抜け出せないだろう。
 冒頭にも書いたけれど、いまだこれに似たゲームは出現していないと思うし、だからこそ25年経っても新たに出され続けているのだ。
 今回のバージョンは、大手のゲーム会社からだから手に入りやすいはずだ。日本でもボードゲームが広がりつつあるいまだからこそ、きっとその真価がわかる人も増えていることと思う。
変てこりんだけれど、実はしっかりとした味のあるゲームとして、自信をもってお薦めしたい。